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長野地方裁判所 昭和60年(行ウ)1号 判決

主文

一  被告が原告平井清治に対して行った昭和五七年四月一四日付予防接種法第一六条第一項に基づく死亡一時金及び葬祭料不支給処分を取り消す。

二  被告が原告平井高子に対して行った昭和六〇年九月二七日付予防接種法第一六条第一項に基づく死亡一時金不支給処分を取り消す。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

主文同旨

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告ら

1  予防接種の実施及び平井正の発病

(一) 平井正(以下、平井姓の者は名のみで示す。)は、昭和五五年一一月当時、長野市立真島小学校五年に在籍しており、同月五日及び一八日の二度にわたり、被告が同校において実施したインフルエンザHAワクチンの接種を受けた(以下、右接種のうち、二回目の接種を「本件接種」という。)。

(二) 正は、同月二一日に発熱があり、右頸部リンパ節が腫れ、翌二二日にも発熱があり、学校を休んだ。

(三) 正は、同月二三日には、体温が三九度以上となり、滝沢医師に受診し、注射と投薬を受けたが、その翌二四日、翌々二五日とも発熱が続き、更に二六日には午前七時二〇分ころから、ひきつけを起こし、再び滝沢医師の診察を受けたが、その後も終日けいれんが頻発し、翌二七日午前一一時二〇分、救急車により長野赤十字病院に運ばれ、同病院小児科に入院した。入院時の症状は、けいれん重積状態、意識障害、半昏睡、発熱三八度以上であり、診断は急性脳症であった(以下、急性脳症の発症を「本件事故」という。)。

(四) 正は、昭和五六年一月二一日午前五時ころ、急性脳症による身体諸機能の悪化に起因する誤えんによる窒息により死亡した。

2  行政処分

(一) 原告らは、正の両親であり、被告に対し、正の死亡に関し、予防接種法(以下「法」という。)一六条一項の規定に基づき、原告清治は昭和五六年三月一六日付で死亡一時金及び葬祭料(以下「死亡一時金等」という。)の、原告高子は昭和六〇年四月二七日付で死亡一時金の給付請求をそれぞれ行なった。

(二) 被告は、右各請求に対し、正の死亡が予防接種を受けたことによるものであるとの厚生大臣の認定がないことを理由として、原告清治に対し昭和五七年四月一四日付で死亡一時金等を、原告高子に対し昭和六〇年九月二七日付で死亡一時金を各支給しない旨の処分を行なった(以下「本件各処分」という。)。

(三) 原告清治は、長野県知事に対し、昭和五七年六月一日原告清治の請求に対する不支給処分の審査請求を行なったが、同知事は、昭和五九年一〇月三一日、全部棄却の裁決をした。

3  因果関係

(一) 法上救済を受けるためには、当該疾病、障害あるいは死亡(以下「疾病等」ともいう。)が予防接種を受けたことによるものであるとの厚生大臣の認定が必要であるところ、昭和五一年の伝染病予防調査会答申書においては、「予防接種の副反応の態様は予防接種の種類によって多種多様であり、当該予防接種との因果関係について完全な医学的証明を求めることは事実上不可能な場合があるので、因果関係の判定は特定の事実が特定の結果を予測し得る蓋然性を証明することによって足りる」とされている。

(二) そして、本件事故における蓋然性の判断は、〈1〉法における救済制度の性格、〈2〉予防接種による副反応研究の現状、〈3〉立法者の意思、〈4〉統計の不正確さ及び不十分さ、〈5〉副反応の非特異性、〈6〉潜伏期の多様性等を総合考慮して、次の四要件が満たされるときは、因果関係を肯定すべきである。

(1) ワクチン接種と事故とが時間的及び空間的に密接していること

(2) 他に原因となるべきものが考えられないこと

インフルエンザの予防接種は、当時強制されていたもので、時として死に至る重篤な副反応を招来するものであり、加えて、その集団接種の効果が疑問視されているものである。このような場合、他の要件により、一応の因果関係存在の推認が可能なときには、被告の他原因によることの証明がない限り、因果関係の蓋然性は認められるべきである。

そして、右他の原因は、一般的抽象的に考え得るというのでは足りず、具体的に存在したことが明らかであり、かつその原因と疾病等との間の因果関係も明らかになっていることが必要である。

(3) 副反応の程度が他の原因不明によるよりも質量的に非常に強いこと

本要件は、前記(2)の要件の問題を考察するうえで重要である。

(4) 事故発生のメカニズムが実験、病理及び臨床等の観点からみて科学的学問的に実証性があること

(三) 本件事故における(1)の要件については次のとおりである。

正は、本件接種後の発熱を経て、接種後七日半で急性脳症の症状を呈するに至ったものであり、本件接種と本件事故の時間的空間的密接性は明らかであり、右要件は充足されている。

予防接種による急性脳症の多くは、接種後二日以内に発症してはいるが、六ないし一〇日の間に発症した例もある。

被告はインフルエンザワクチンによる副反応が二四時間(遅くとも四八時間)以内に起こると主張するが、これを裏付ける理論的根拠はなく、調査も行われていない。

インフルエンザワクチンによる急性脳症は、即時型アレルギー反応と考えられ、ヒスタミンなどに対する感受性を欠くか、不十分な事態が先行していれば、その後に抗原参加があってもヒスタミンなどの産出は即時的でなく、一定時間を要するため、その潜伏期もより遷延性となる可能性がある。

(四) 本件事故における(2)の要件については次のとおりである。

本件接種と本件事故との因果関係については、他の三要件が充足されているものであるところ、被告による他原因の具体的存在とその証明はなく、厚生大臣の認定や長野市予防接種健康被害調査委員会(以下「調査委員会」という。)の指摘は単なる抽象的な想像の域を出ていないものである。

正は、本件接種後、急性咽頭炎の診断を受けてはいるが、急性咽頭炎は刺激性の物質を吸入した場合などにも生じるので、正が急性咽頭炎の主な原因たるウイルスあるいは細菌に感染していたと確定することはできない。

そして、正の発熱が急性咽頭炎によるものであると確定することはできず、本件接種の副反応としての発熱の可能性、急性脳症そのものによる発熱の可能性、急性咽頭炎による発熱が併存した可能性もある。

また、正は、上気道感染症に罹患していたところに、本件接種を受けた結果、免疫病理学的機序を経て感染症が活性化され、重篤な症状を呈するようになったことも考えられる。

なお、正は、小学校入学前に一〇回ほど熱性けいれん(二〇秒から三〇秒)を起こしており、けいれん素因を有していたが、てんかん性のけいれん体質ではなかった。

(五) 本件事故における(3)の要件については次のとおりである。

本件事故は、けいれん重積から死亡に至るという極めて強度の副反応を示しているから右要件を充足している。

ウイルス性の咽頭炎においては、重篤な合併症は稀である。

なお、正は、小学校入学前に一〇回ほど熱性けいれんを起こしているが、本件事故におけるもののような重篤な症状(長時間かつ異様な態様のけいれんや意識障害)を起こしたことはなかった。

(六) 本件事故における(4)の要件については次のとおりである。

インフルエンザワクチンの接種による急性脳症は科学的に実証性があるから右要件を充足している。

インフルエンザワクチンの接種によるリンパ節炎にも科学的に実証性があり、本件事故は、本件接種、発熱、リンパ節炎、急性脳症という因果関係を考えることもできる。

4  よって、本件接種と本件事故との間には因果関係が存在しているのであり、それを否定した厚生大臣の認定は誤りであり、これに基づく被告の本件各不支給処分は違法であるから、その各取消しを求める。

二  被告・認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

本件処分の経緯は以下のとおりである。

(一) 被告は、原告清治の請求を受け、正の死亡が本件接種を受けたことによるものであるか否かにつき厚生大臣の認定を受けるため、昭和五六年六月一七日付で長野県知事を経由して厚生大臣に進達し、同大臣は、同年九月三日、公衆衛生審議会に諮問した。

同審議会(公衆衛生審議会令五条三項により、予防接種健康被害認定部会((以下「認定部会」という。))の決議が公衆衛生審議会の決議とされている。)は、審議の結果、昭和五七年三月二四日、正の死亡は本件接種を受けたことによるものであるとは認められないとして、非該当の答申を行い、これを受けて厚生大臣は、同月二四日付で、正の死亡については法一六条一項の規定による認定をすることができない旨を長野県知事を経由して被告に通知した。

被告は、原告清治の請求にかかる死亡一時金等を支給しない旨を決定し、同原告に対し同年四月一六日到達の書面でその旨通知した。

(二) 被告は、原告高子の請求を受け、正の死亡が本件接種を受けたことによるものであるか否かにつき厚生大臣の認定を受けるため、昭和六〇年五月二〇日付で長野県知事を経由して厚生大臣に進達し、同大臣は、同年六月一二日公衆衛生審議会に諮問した。

同審議会(認定部会の決議が公衆衛生審議会の決議とされている。)は、審議の結果、昭和六〇年八月一日付で、原告清治からの請求に関して行った答申を変更する必要はないと認めて、非該当の答申を行い、これを受けて厚生大臣は、同月一九日付で、正の死亡については法一六条一項の規定による認定をすることができない旨を長野県知事を経由して被告に通知した。

そこで、被告は、原告高子の請求にかかる死亡一時金を支給しない旨を決定し、同原告に対し同年一〇月一日到達の書面でその旨通知した。

3  請求原因3の事実について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の主張のうち、原告の要件(2)及び(3)は争う。

ただし、原告の要件(1)の空間的密接性は、その内容が不明確であり、要件とするのは不相当である。

原告の要件(2)は、他の原因の存在とその原因と疾病等との間の因果関係の存在の立証責任を被告に負担させようとするものであるから、失当である。

また、疾病等の原因としてワクチン接種と他の原因とが考えられる場合には、それぞれを等しく検討したうえで、何が疾病等の原因かを明らかにすべきであり、その際は、どの蓋然性が最も高いかという観点にたって判断するのが正当である。

原告の要件(3)は、その内容が不明確であり、発現した症状の程度が強いことを意味するならば、因果関係を肯定する理由が明らかでなく、不相当である。

4  同(三)ないし(六)の主張は争う。

脳炎・脳症が予防接種後六ないし一〇日で発症したとする例は、予防接種後の脳炎・脳症の例を報告したものであって、予防接種との因果関係が断定されたものではない。

頸部リンパ節炎は、感染によって発症するものであり、不活化ワクチンによる本件接種が原因となっているとは理論的に考えられず、関係がない。

後記6項に述べるとおり、正のけいれん重積、脳症ないし死亡と本件接種との間には因果関係はないと考えるのが妥当であるから、厚生大臣の因果関係否定の判断、それに基づく被告の本件各処分は適法である。

5  司法判断について

(一) 厚生大臣の認定にかかる疾病などが予防接種を受けたことによるものであるかどうかの判断をするには、予防接種施行後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見が予防接種以外による疾患のそれと異なるものではない(非特異性)上に、脳炎、脳症については、原因不明なものがその報告症例全体の六、七割を占めるなどの事情から、具体的に生起した疾患が予防接種によるものか、あるいは他の原因によるものであるかを的確に判定することが困難な場合が多いため、医学上の高度の専門的知識を必要とし、その適正な認定のためには常に進展する医学会の最新の知見に基づいて判断する必要がある。そこで、法は、厚生大臣が右認定をするに当たっては、公衆衛生審議会の意見を聴くものとしている。

その趣旨を受けて、公衆衛生審議会には、小児科・神経病理・ウイルス・アレルギーその他医学各分野の専門家及び法律の専門家をもって構成する認定部会が設置され、認定部会が疾病等とワクチン接種との因果関係の有無を審査及び判定し、その結果を公衆衛生審議会の意見として厚生大臣に答申することとされており、厚生大臣も、右認定部会の判定に従って認定または不認定を行うのが行政の実態となっている。このような厚生大臣の判断は、高度の医学的見地に基づき公平な判断を基礎とする厚生大臣の裁量により決定されるべきものであって、その意味において、それは講学上の行政裁量行為の中の専門技術裁量行為に該当するものというべきである。

(二) 右のような専門技術裁量行為について、司法審査は、その行為が裁量権の踰越・濫用と認められるかどうかを判断するにとどめるべきであり、厚生大臣の判断が医学専門家の間における常識ないし支配的見解に反するとか原告に対してのみ特に不利益判断を行ったなど厚生大臣に与えられた裁量権の踰越・濫用にわたる場合に限ってその判断は違法とされるべきである。本件事故についての厚生大臣の判断に右述の裁量権の踰越・濫用はない。

6  正の死亡と本件接種との因果関係について

(一) 正は、昭和五五年一一月二一日ころ罹患した急性咽頭炎及び頸部リンパ節炎により同月二三日から高熱が持続したことによって、正のけいれん体質に起因するけいれんが誘発されたため同月二六日からけいれん重積状態となり、このけいれん重積状態が急性脳症症状を引き起こしたと思われる。

(二) 正は、けいれん重積状態が悪化し、急性脳症による誤えんで死亡したのであるから、正の死亡と本件接種との因果関係が認められるには、正のけいれん重積状態が本件接種に起因したことが認められなければならない。

そのためには、次の二つの場合が考えられる。

(1) 本件接種により直接急性脳症の状態になり、けいれん重積状態となった場合

(2) もともとある病気(たとえば、けいれん体質)が本件接種をきっかけにして発病した場合

(三) ところで、本件接種後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見は、予防接種以外の原因による疾患のそれと異なるものでないため(非特異性)、具体的に発生した症状だけから、その原因が予防接種によるものか、あるいは他に原因が存するのかを判断するのは困難である。そこで、因果関係の判断は、次の三つを指標として、実際に得られた検査所見と臨床経過をワクチンの種類と考え合わせながら、どのくらいの確率で予防接種との因果関係があり得るかを推定し、インフルエンザHAワクチン(昭和四七年から一般接種に供されているワクチンで、インフルエンザウイルス粒子を分解し、インフルエンザの感染防御に必要な分画((赤血球凝集素《HA》等))を取り出し、副反応の主体をなす脂質分画を除去したもの。正が接種を受けたワクチン)が安全性の高いワクチンであること、急性神経系疾患の発症率、給付の財源が税金であること及びある程度の予防接種率を維持するべきことに配慮すべきことを各考慮して、通常人が疑いを差しはさまない程度に蓋然性を有するか否かにより判断されるべきであり、被害者救済のために可能性が否定されない限り因果関係を認定するというのは誤りである。

(1) 当該症状が当該ワクチンの副反応として起こり得ることについて、医学的合理性があるかどうか

(2) 当該症状がワクチン接種から一定の時期に発症しているかどうか

(3) 他の原因が想定される場合には、その可能性との考量を行うこと

(四) 正が本件接種によって直接急性脳症の状態になったかどうかについて

(1) (1)の要件について

急性脳症は、インフルエンザHAワクチンによる副反応として一般に認められている。

(2) (2)の要件について

不活化ワクチンたるインフルエンザHAワクチンは、病原菌を殺したり、その一部を取り出して作るものであるから、病原菌自体による反応はなく、あるとすれば、病原菌自体あるいはその成分に残っている毒性による反応あるいはワクチンの成分がアレルゲンとなって起こるアレルギー反応が考えられ、したがって、副反応としてはそれらが被接種者の身体から排泄され、または無毒化されるまでの間、すなわち接種直後から二四時間(遅くとも四八時間)以内に起こるものである。

急性脳症は、臨床症状として、けいれん、意識障害、高熱等を伴うので、正に急性脳症が発生したと思われるのは、昭和五五年一二月三日であり、これは接種後一五日経過している。

したがって、本件は(2)の要件を充たさない。

(五) 次に本件接種がきっかけとなって、もともとある病気が発現したといえるかどうかについて

正は、けいれん体質であったから、本件接種による発熱がきっかけとなり、けいれんが誘発された場合を想定し得る。

しかし、正が接種を受けたインフルエンザHAワクチンは、直接てんかんの引き金となる虞れが強いワクチンとは考えられていないこと、正は過去のインフルエンザ予防接種において何ら異常を起こしていないこと、インフルエンザ予防接種による発熱も、副反応の一つとして接種直後から二四時間(遅くとも四八時間)以内に発症する一過性のものであるのに対し、正はこの期間発熱しておらず、その後の発熱は継続しており、それには他に明らかな原因として急性咽頭炎、頸部リンパ節炎がある。

したがって、本件接種が正のけいれんのきっかけとなった蓋然性もない。

(六) (3)の要件について(他の原因との考量)

(1) 正が接種を受けたインフルエンザHAワクチンは副反応発現の可能性の著しく少ないワクチンであった。

(2) 正の発症の経緯から見て、正が本件接種の前または直後にウイルスあるいは細菌の感染による急性咽頭炎、頸部リンパ節炎あるいは急性咽頭炎、頸部リンパ節炎症状を伴う何らかの上気道感染症に罹患していたことは明らかであり、二一日以降持続した熱は正が罹患した急性咽頭炎によるものである。

咽頭炎とは、咽頭痛、咽頭粘膜の発赤、腫張等咽頭部位の炎症症状、頸部リンパ節炎の腫大などを生じ、それとともに発熱その他の全身反応を呈するかぜ症候群の一病型で、上気道感染症における症状の一つとして広く認められているものであり、インフルエンザHAワクチンが原因となることはありえない。

(3) 正は、乳児期から有熱時にけいれんが多発し、多いときには年間一〇回にも及んでいるほか、六歳以降もけいれんを示し、並びに知能の発達遅滞が存したから、けいれん体質であったことが示唆される。

(4) 急性咽頭炎の病因であるウイルスあるいは細菌感染が原因となって急性脳症となった蓋然性が大きい。

また、急性咽頭炎による発熱がけいれん重積を起こし、これが原因となって急性脳症となった蓋然性あり、けいれん体質を有する者にあっては、発熱により誘発されたけいれんが重積状態になり、これにより急性脳症となることもある。

以上のとおり、正の症状は、急性咽頭炎に起因するものであった蓋然性が著しく高いということができる。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  本件接種の実施、本件事故の発生、本件各処分の存在請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  本件各処分の経緯など

被告・認否及び主張2の事実が認められ(〈証拠〉)、厚生大臣の認定拒否に対し独立した不服申立手段はみあたらない。

そうすると、厚生大臣の認定は、行政機関相互間でなされる内部的な行為であり、厚生大臣に因果関係の認定を拒否された原告らは、本件各処分に対する不服申立手続たる本件訴訟手続の中で右厚生大臣の判断の違法性を争うことができ、右判断が違法である場合は、これに基づく本件各処分も違法となり、取消しを免れないものと解される。

三  本件接種と本件事故の因果関係

1  判定基準について

(一)  一般に訴訟上の因果関係の立証は、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は通常人が疑をさしはさまない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解されている。

しかし、訴訟上因果関係の立証を要件とする法制度には、多種多様なものがあり、当該法制度に基づく救済を求められた裁判所は、因果関係の存否につき当該法制度の趣旨及び目的に適合するようこれを判断すべきであるから、ある制度が右立証の程度を緩和していると認められる場合には、因果関係を肯定する基準を緩和することも可能であると解するべきである。

なお、予防接種と疾病等との間の自然科学上の因果関係を考察するには、医学上の高度の専門的知識が必要とされるものではあるが、前記意味における因果関係の有無は、行政裁量の余地のない事実認定に関する事項であり(「公共の利益」というような事項についての認定判断とは異なる。)、特に制限規定がない限り、裁判所は、行政機関が法制度の趣旨及び目的を正しく解釈し、かつ、正しい事実認定に基づいて行政処分を行ったか否かを判断することができるものと解すべきであるから、厚生大臣の予防接種と疾病との間の因果関係の有無についての判断が専門的技術裁量行為に該当し司法審査は右判断につき裁量権の踰越・濫用と認められるかどうかを判断するにとどめるべきである旨の被告の主張は採用することができない。

(二)  予防接種と疾病等との間の因果関係の存否を判断するに際し、次の趣旨の基準が基準の一部として用いられるべきことについては当事者間に争いがなく、また本件各処分の適法性は、これらの基準を緩和すべきか否かによって結論を左右しないので、当裁判所も本件においては、次の基準を基準の一部として採用することとする。

(1) 当該ワクチン接種から当該症状が発生し得ることについて、医学的に合理性があるか

(2) 当該症状が当該ワクチン接種に近接した時期に発症していること

当事者間の争点は、被告主張の(3)の要件(他の原因が想定される場合、その可能性との考量を行うこと)と原告主張の(2)及び(3)の要件に関してである。

よって検討するに、まず、予防接種は、伝染の虞れがある一定の疾病に対して免疫の効果を得せしめるため、免疫原を人体に注射あるいは接種することをいい、被接種者個人の疾病の発生とそのまん延を予防するために行われるものである(法一、二条)。

しかも、インフルエンザによっては病弱者や老人を除いて重篤になることは考え難く、逆に、インフルエンザワクチンの接種により死亡を含めた重篤な副反応が、それが稀にではあったとしても生じることが知られているにもかかわらず、集団生活をする小児の免疫度を一定水準に維持することにより流行を押えることを目的としてインフルエンザワクチンの接種が行われている(〈証拠〉)。

そして、法上救済を受けるために必要な当該疾病、障害あるいは死亡が予防接種を受けたことによるものであるとの厚生大臣の認定について、伝染病予防調査会(公衆衛生審議会の前身)の昭和五一年の答申書においては、「予防接種の副反応の態様は予防接種の種類によって多種多様であり、当該予防接種との因果関係について完全な医学的証明を求めることは事実上不可能な場合があるので、因果関係の判定は特定の事実が特定の結果を予測し得る蓋然性を証明することによって足りるとすることもやむを得ない」ものとされ、法の改正案が審議された社会労働委員会において、厚生大臣の認定は疑わしきものはすべて認定するものとする旨の方針が確認され、実際にも右方針により運用されるよう努められている(〈証拠〉)。

また、予防接種施行後の神経系疾患の臨床症状や病理学的所見が、予防接種以外による疾患のそれと異なるものではない(非特異性)上に、脳炎・脳症については、原因不明なものがその報告症例全体の六、七割を占めるなどの事情から、具体的に生起した疾患が予防接種によるものか、あるいは他の原因によるものであるかを的確に判定することが困難であり、インフルエンザHAワクチンにより急性脳症が発症するメカニズムは良く判っていない(〈証拠〉)。

以上のことを考慮すると、他の原因が想定される場合には、因果関係の存否を検討する基準として、

(3) 当該症状の発生が、当該ワクチンの接種以上に他の原因によるものと考える方が合理性がある場合でないこと

をもって足りると解すべきである。

原告主張の(3)の要件は、他の原因が想定される場合の合理性存否の判断の要素として考えるべきものと解する((1)の要件中の空間的密接性は有意義とは認められない。)。

以上検討したとおり、本件接種と本件事故の因果関係の有無については、以上の(1)ないし(3)の基準により判断するのを相当と考える。

2  基準(1)について

正の受けたインフルエンザHAワクチンの接種から急性脳症が発症することは当事者間に争いがなく(尤も被告は、インフルエンザHAワクチンが、副反応発現の可能性の著しく少ないワクチンであると主張している。)、本件は前記(1)の基準が充たされているということができる。

3  基準(2)について

(一)  正は、ひきつけを起こした昭和五五年一一月二六日に急性脳症を発症したものであり(〈証拠〉)、それは本件接種後七日半後のことである。

厚生大臣は、本件事故は「時間的経過からインフルエンザの予防接種に起因したとは考えられない」として、本件接種と急性脳症発症との間の右時間的間隔を因果関係否定の最大根拠としたものである(〈証拠〉)。

(2) そこで、正の右発症が本件接種に近接した時期に発症しているかどうかであるが、医学・実証的にインフルエンザHAワクチンから急性脳症が発症する合理的期間を限定することが可能であれば、その期間内の発症か否かを検討することによりこれを明確にすることができる(「合理的」としたのは、医学に「絶対」はあり得ない(〈証拠〉)からである。)。

被告は、急性脳症は、接種直後から二四時間(遅くとも四八時間)以内に発症する旨主張する。

しかし、インフルエンザHAワクチンの接種により急性脳症が発症する機序が良く判っておらず、被告の主張自体「不活化ワクチンたるインフルエンザワクチンは、病原菌を殺したり、その一部を取り出して作るものであるから、病原菌自体による反応はなく、あるとすれば、病原菌自体あるいはその成分に残っている毒性による反応あるいはワクチンの成分がアレルゲンとなって起こるアレルギー反応が考えられ、」といわば消去法による説明及び仮説を立てたものにとどまっているものであり、接種直後から二四時間(遅くとも四八時間)以内に起こると主張する根拠も「副反応としてはそれらが被接種者の身体から排泄され、または無毒化されるまでの間」というものである。

したがって、接種後二四時間(遅くとも四八時間)以内に副反応が発症するとする被告主張の根拠は説得的とはいえず、逆に、四八時間を超えて発症するとする見解も存し(〈証拠〉)、明確に前述の合理的期間を区切ることは困難というべきである。

そうすると、接種と発症とが近接しているか否かは、他の発症例との比較をもって行うほかないが、予防接種による急性脳症の多くが接種後二日以内に発症していることは、原告らの自認するところである。

しかし、インフルエンザHAワクチンによる急性脳症発症の正規分布を明らかにする調査は、行われていない(〈証拠〉)から、本件事故が正規分布から外れているか否かを検討することはできない。

そして、右の正規分布を明らかにする調査は、被接種者の両親である原告らよりは、予防接種の制度を設置設営し、かつ右調査を行う能力を有する行政機関の方が適任者であると考えるべきである(因果関係の認定判断資料の多くが原告側の支配領域内の事情であることは、被告主張のとおりであるが、原告の個別的事情ではなく、右正規分布のような一般的事実については、むしろ前記立場にある被告の支配領域内の事実といえる。)から、右調査がなされていないことが原告らの不利益に働くことは適当でなく、しかも潜伏期は人によって異なり、かつHAワクチンが旧ワクチンに比べ副反応の発症が遅いとの見解もある(〈証拠〉)こと及び正が発症するまでの期間が医学的に明々白々に予防接種との因果関係がないと断定しうる程の長期のものではないことをも考え合わせると、結局、正が発症するまでの期間と同程度の発症例が他にあれば、本件事故は、時間的近接性の要件を充たしているというべきである(本要件の場合、正規分布調査に関する右述の事情から、他の発症例において予防接種との因果関係が確定されていることまでは必要としない。)。

そして、インフルエンザHAワクチンの接種後四八時間を超えて発症したとする調査結果には、二ないし五日で一例及び六ないし一〇日で一例とするもの、六日で二例及び一〇日で一例とするもの、六日で一例とするもの、六または七日で一例(脳症か脳炎か不明のもの)とするものなどがある(〈証拠〉)。

したがって、本件事故は前記(2)の要件を充たしているということができる。

4  基準(3)について

(一)  正は、本件接種時、平熱であったが、(〈証拠〉)、二一日以降持続して発熱しており、頸部リンパ節が腫れ、急性咽頭炎が発症していた(当事者間に争いがない。)。

(なお、本件接種前の正の不登校、本件接種当日からの発熱及び食欲減退については、これを認めるに足りる客観的証拠はない。)

右認定の正の発症の経緯からすると、原告が主張する正がインフルエンザHAワクチンの接種により、発熱と頸部リンパ節炎の副反応を発症し、非感染性因子により急性咽頭炎を発症したという可能性(〈証拠〉)よりも、正が本件接種の前または直後に(いずれと決するに足りる証拠はない。)、ウイルスあるいは細菌の感染による急性咽頭炎、頸部リンパ節炎あるいは急性咽頭炎、頸部リンパ節炎症状を伴う何らかの上気道感染症に罹患していた可能性(〈証拠〉)が高いとみるべきである(〈証拠〉)。

また、正が、少なくとも、けいれん素因を有していたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、急性咽頭炎の病因であるウイルスあるいは細菌感染が原因となって急性脳症となった可能性、あるいは、急性咽頭炎による発熱がけいれん重積を起こし、これが原因となって急性脳症となった可能性があり、けいれん体質を有する者にあっては、発熱により誘発されたけいれんが重積状態になり、これにより急性脳症となることもある(〈証拠〉)から、本件事故は、インフルエンザHAワクチンによる副反応の他に原因が想定される場合にあたる。

(二)  しかし、急性咽頭炎は、かぜ症候群の一病型で、上気道感染症における症状の一つとして広く認められているものであり、かぜ症候群の八割から九割がウイルスによって起こるとされているところ、ウイルスから重篤な症状に至るのは稀であり(〈証拠〉)、急性咽頭炎あるいは上気道感染症がインフルエンザHAワクチンよりも急性脳症を発症しやすいと認めるに足りる証拠はない。

更に、急性咽頭炎あるいは上気道感染症とワクチンの副反応が合併した可能性がある(〈証拠〉)。

また、けいれん素因がインフルエンザHAワクチン接種の禁忌事由とされていることは、当事者間に争いのないところであるが、けいれん素因を有する正の場合に、急性咽頭炎の方がインフルエンザHAワクチンよりもけいれんを誘発する可能性が高いと認めるに足りる証拠はなく、更に、正が昭和五五年一一月二六日に起こしたけいれんは、終日頻発したもので、正が小学校入学前に起こした有熱時のひきつけ乃至けいれんとは異なるものである(〈証拠〉)。

したがって、正の症状は、前記想定される他の原因に起因すると考える方が合理的であるとはいえないから、本件事故は(3)の基準も充たすものというべきである。

5  以上検討したところによれば、本件接種と本件事故との間には、法の趣旨、目的とした因果関係があるというべきであり、前記(請求原因1)のとおり、本件事故と正の死亡の事実は当事者間に争いがない。

したがって、原告らの各請求について、厚生大臣が本件接種と本件事故との間に因果関係を認定しなかったことは違法である。

四  以上のとおり、本件各処分は違法な厚生大臣の判断に基づくものであって、違法なものとして各取り消されるべきであり、原告らの本件各請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山崎健二 裁判官 辻 次郎及び同 原 道子は、転補のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官 山崎健二)

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